碧井 ゆきの物語

こんにちは。碧井ゆきと申します。ここにはわたしが書いた小説をのせています。

北風の吹く頃に 4

すべり台に登るには、はしごとアスレチックのようなロープを編んだ目の大きな網とがある。

安子は網を登り始めた。

「え、何よ。俺が下りるって」

安子が登るのよりずっと早く恭輔はするすると猿みたいに下りてくる。

 

同じ高さになったがここで言っていいものかためらう。

「ちゃんと下りようや」

 恭輔にうながされてもと来たルートをもどる。

 

地面に足がついたときにはスカートはほこりまみれだった。

安子はほこりを払うためにスカートをはたいた。

顔を上げるとじっと見ている恭輔と目が合った。

黙って待っていてくれたのだ。

恭輔が口を開けかけたので安子は急いで声を出す。

 

「好きです。つき合ってください。こんな私だから駄目かもしれないけど、がんばるから。変わります。今までごめんなさい」

 

安子は頭を腰の高さまで下げた。

恭輔は何も言わず動かない。

最後の言葉はちょっとおかしかった。

戸惑わせてしまっただろうか。

恭輔も周りも静かなままで、そうっと顔を上げる。

 

困った顔の恭輔と目が合う。

その途端、

「ごめんなさいっ」

と恭輔は大きな声を出し、腰の高さまで頭を下げた。

 

安子が息を止め、深呼吸するとやっと顔を上げた。

「今の安子じゃだめだわ。ごめんな」

やっぱりね、そりゃそうだよね。

 

「それにさ」

恭輔は目だけ笑う。

「最後のは俺にじゃないだろ」

 

由花や秋名や、ほかの女の子達が駆け寄ってくる。

「おつかれ」

「そうかそうか」

「なるほど」

全然わからなかった、と言う声も聞こえる。

 

「教室に帰ろ」

誰ともなく学校へ戻る道へ歩き出す。

 

「痛あいっ」

いつの間にか後ろにいた秋名にお尻をつねられた。

「柔いなっ」

舌を出して逃げる秋名を追い駆けた。

 

-終-

 

 

 

*『北風が吹く頃に』は、2016年1月にTwitterに載せたものです。表現は一部変えてあります。

北風の吹く頃に 3

したいことは由花をいじめることではなかった。

それだけがはっきりした。

一度クラスの数人と授業を抜け出して行った公園に足が向かった。

あのときは恭輔も居た。

公園は丘の上にある。駆け上がるのは難儀だ。

心臓がめいっぱい膨らんだまま拍動して苦しく、膝下がつってがくがくしてくる。

 

それでも脚は止まらない。

林を抜けると芝生の緑が目の前に広がった。大きな滑り台やアスレチック風のネットや砂場でクラスのみんなはめいめい遊んでいた。

男子はブレザーの腕をまくりズボンの裾をたくし上げている。

幼稚園の子たちが遊んでいるみたいだ。

 

「あ、安子。そろそろ戻ろうと思ってたんだ」

滑り台のてっぺんにいる恭輔にまっすぐに顔を見られて言われ、涙で前が見えなくなりそうになる。

恭輔に返事をしたいが、ぎゅっと両のこぶしをにぎり鉄棒のあたりでほかの女子と話している由花の方へ歩いていく。

秋名も一緒とわかり一瞬たじろぐ。

けれどここまで来た理由を果たさないと戻れない。

 

責める眼の中にいくつかの背を押す目線を感じた。

誰のものなのか確かめる余裕はないが勇気をもらって由花の前へ進み出る。

「ごめんね、由花。ごめんね。私がしたかったのは」

秋名が前に立っている子の頭の横から顔をのぞかせる。

「恭輔くんが好きなの」

みんなの顔を見ていられない。

顔を覆うのも申し訳ない。

 

うつむいて膝に手を当てる。

心臓がどきどきしているのを思い出した。

苦しい。

 

「安子ちゃんさ」

由花の声で顔を上げる。

「言う相手が違う」

由花は目に涙の縁をつくって笑っている。

 

「あ、そうだよね」

安子の目からも涙が流れ出ていた。

 

すべり台の方を振り向くと恭輔が両手ですべり台の手すりを握りこちらを見ている。

安子と由花のやり取りが聞こえたかわからないがいじめのことだけではないと感じたのだろう。

安子はすべり台へ向かって歩く。

北風の吹く頃に 2

物静かで本を読んでいることの多い由花は、休み時間に近くに座る者がいると本を置いて二、三言葉を交わす。

なんだか占い師さんみたいなポジションだ。

由花が辛いと皆辛い。

安子にもそれなりに訳はあるのだろう。

授業が終わる頃には教室に戻ろうと思う。

 

安子はおもしろくない。

みんな次々と彼氏ができる。

いいな、と思っていた男子にも彼女ができていく。

由花が憧れの先輩の薗碁(そのご)とつき合い始めたと聞いたときには頭が沸騰しそうになった。

しかも由花は前は恭輔とつき合っている。

クラスの中では恭輔が一番かっこいいと思っていたのだ。

 

恭輔は今は秋名とつき合っている。

学校にはいらいらするために行っているようなものだ。

由花はいくらつらくあたっても胸を張って登校してくる。

それがますます気に食わない。

どうしたら由花の顔を見なくて済むようになるのだろう。

 

それにしても、みんなが教室を出て行ったのはこたえた。

 

けれどどうしようもないのだ。

どうしたら気が収まるのか安子もわからない。

由花を教室から連れ出すためではあったが、恭輔がすぐそばまで来たのは嬉しかった。

恭輔のブレザーのにおいがまだ鼻に残る。

秋名も由花の肩を抱いていた。

秋名が近くにいたのは残念だった。

 

でも恭輔がそばに来てくれたからそんなことはどうでもよかった。

午後の授業が始まってもみんな戻って来ない。

先生達は安子ひとりでも授業をしていく。

みんなを探しに行こうか。

見つけて謝ろうか。

けれど何を謝ればいいのかわからない。

六時限目の日本史の授業が始まったが教科書が開けない。

 

安子は教室を飛び出した。

上履きを脱ぎローファーに履き替えて外へ駆け出す。

みんなどこだろう。

冷え込んだアスファルトと冷えたローファーの靴底がカンカンと硬い音を立てる。

何を言えるのかわからないが由花に謝ることはできる気がした。

北風の吹く頃に 1

校長先生はいじめはないと言った。

けれどクラスの少なくとも三分の一は由花がいじめられていると知っている。

恐らく半分以上は知っているだろう。

安子は由花に自分の宿題をやらせておいて、みんなの目の前で破り捨てる。

そして由花のノートを横取りする。

いじめのアンケートをくぐり抜けたのは皆が安子がこわいからだ。

 

安子は、安子にとって面白くない奴の弱みをどこからか握ってくるのだ。

圴一のお父さんは転職を余儀なくされた。

 

由花がいじめられているのを見て見ぬ振りしているのも辛い。

「まじめに嫌な顔をするから止まらないんじゃないのかな」

恭輔が言う。

由花と三分の一のクラスメートは安子を見るとへらへらすることにした。

 

声を張り上げずに力を抜いてへらへらするのだ。

由花が安子にいじめられ始めると三分の一はへらへらする。

由花はその様子を見て安心してへらへらする。

残りの三分の二もへらへらし始める。

たまに安子の由花へのいじめの同調と勘違いする奴がいるが、へらへらしたまましぐさでやんわりと止める。

 

へらへらしたまま恭輔と私は由花の両方から肩を抱く。

安子はあっけにとられている。

鼻歌を歌い出すやつがいる。

皆が鼻歌を歌いだす。

由花と私と恭輔を先頭にして安子を置いてクラスメートは全員教室を出た。

 

クラスメートの三分の一は一度は安子に嫌がらせを受けているのだ。

放課後にドーナツ屋に集まるのにハンバーガー屋と伝えられた女子、プリントを読み上げるよう言われてそのまま読んだら卑猥な言葉の羅列でプリントがすり替えられていたとわかった女子。

男子は何者かに殴り逃げされている。

 

やられた者に共通しているのは彼氏や彼女ができてすぐだったということだ。

安子の嫌がらせを恐れて恋人ができたことをひた隠しにする者もいる。

由花は貧弱で顔もかわいいとは言えないのが安子にはますます面白くないのかもしれない。

 

 

*『北風が吹く頃に』は、2016年1月にTwitterに載せたものです。表現は一部変えてあります。

 

出ないための鍵 20 -最終話-

僕は、キーケースから僕のアパートの部屋の鍵をはずして、彼女に返してもらったキーホルダーにつけた。

キーケースに彼女の家の鍵をつけた。

 

「鍵、返しますね」

 

僕はまだ新しくて革のぴかぴかしているキーケースごと彼女に鍵を渡した。

 

彼女は泣きそうな顔をする。

 

「外に出られたじゃありませんか。キーケースは、差し上げます」

 

 

公園の出口から、彼女の家までは見える。

 

「家に入るところまで見ています」

 

彼女は、細い指でキーケースをぎゅっとつかむ。

 

「ありがとうございました」

 

 

タオルハンカチもあげたほうが良かっただろうか。

 

彼女は何度も振り返り、門柱の間に入った後にも手を振り、家の中に帰って行った。

 

-おわり-

出ないための鍵 19

公園の中ほどにあるベンチは照明に照らされていたが、上を蚊柱が渦を巻いていた。

 

それでなくとも、夜の公園の真ん中に彼女を連れて行く気は起きなかった。

入口そばのいちばん大きな明るい街灯の下に入り、ハンカチを地面に広げ、物をひとつひとつ出していった。

 

仕事の書類と財布だけは、一緒にしゃがんでいる彼女に持ってもらった。

 

ペンケース。

 

目薬。

 

水が半分入ったペットボトル。

 

ポケットティッシュ

 

汗ふきシート。

 

マウスウォッシュ。

 

パスケース。

 

歯ブラシ。

 

カバーをつけてある文庫本2冊。

 

キーケース。

 

小銭入れ。

 

三文判

 

バッグの内ポケットに差してあるボールペン。

 

タオルハンカチ。

 

ひとつひとつ出すたびに、彼女がどぎまぎする。

 

すべて出した。

 

カバンの底には何もない。

外ポケットにもない。

 

敷いたハンカチからはみ出るが、カバンを地面の上のハンカチの上に置く。

 

立ち上がって服のポケットをもう一度総ざらいする。

 

ない。

 

しゃがんだまま僕の書類と財布を抱えていた彼女が、

「ちょっと待ってください」

と言い、抱えている物を僕に差し出す。

 

僕は書類と財布を受け取り、彼女は僕のカバンを手に取って、外側からつぶすようにして調べ始めた。

 

細い指なのに意外と力が強い。

 

カバンが変形する。

 

何も見つからなかったようで、カバンの中に手をつっこんで内生地を叩いたり、つかんだり、引っ張ったりする。

 

容赦ない。

小さく、ぴりっ、という音がする。

 

「あっ、すみません」

 

内生地の底の縫い目がほつれていたらしい。

彼女はカバンを横に倒して、中を見ずに手探りする。

 

「あ、これ」

 

カバンの底の、ほころびを上にした下側、正面から見ると左側の底に、硬いものがあったらしい。

 

カバンと、書類と財布と彼女と交換する。

 

カバンを振ったり、生地を押したりすると、ほころびから鍵が顔を出した。

 

指でそうっとつまんで取り出す。

 

「ああ、よかった」

 

思わず声が出る。

 

彼女はにこにこしている。

 

「持っていてほしいけど、なくされたくないです」

 

僕は外に出した物をカバンの中に戻し、ハンカチに付いた土を払い、しまった。

出ないための鍵 18

鍵のありかは気になるが、黙っているのも息が詰まる。

 

「キーホルダーは、この間気づいていたんですけど、言いそびれてしまいました」

僕は頭を掻く。

 

「やっぱり、あなたのだったんですね」

 

驚けばいいのか、どうすればいいのか。

僕は彼女の顔を見る。

 

「あの日の夜からありましたから」

彼女は前を向いて歩く。

 

「タエコさんから聞いてなかったんですか」

 

責める口調にならないように気をつけて言う。

 

「言ったら、返さなくてはいけなくなると思ったのではないでしょうか」

 

彼女は口をつぐんでうつむく。

 

「映画に行くときも旅行に出たときも、持って行きました」

 

街灯と街灯の間だ。

 

顔色はうかがえない。

 

「ひとりきりと思うより、勇気が出たんです。ごめんなさい」

 

彼女は立ち止まって頭を下げた。

 

街灯の照らす範囲に入り、髪が光る。

 

「いや、いいんですよ。ただのキーホルダーですから」

 

顔を上げた彼女は、残念そうな面白くなさそうな表情のようだった。

 

「ただのじゃありません。ありがとうございました」

むっとした顔でキーホルダーを返された。

 

「鍵、探しましょう」