碧井 ゆき の物語

こんにちは。碧井ゆきと申します。ここにはわたしが書いた小説をのせています。twitter.com/snowycrow2blue https://note.mu/snowycrow2blue

北風の吹く頃に 4

すべり台に登るには、はしごとアスレチックのようなロープを編んだ目の大きな網とがある。 安子は網を登り始めた。 「え、何よ。俺が下りるって」 安子が登るのよりずっと早く恭輔はするすると猿みたいに下りてくる。 同じ高さになったがここで言っていいも…

北風の吹く頃に 3

したいことは由花をいじめることではなかった。 それだけがはっきりした。 一度クラスの数人と授業を抜け出して行った公園に足が向かった。 あのときは恭輔も居た。 公園は丘の上にある。駆け上がるのは難儀だ。 心臓がめいっぱい膨らんだまま拍動して苦しく…

北風の吹く頃に 2

物静かで本を読んでいることの多い由花は、休み時間に近くに座る者がいると本を置いて二、三言葉を交わす。 なんだか占い師さんみたいなポジションだ。 由花が辛いと皆辛い。 安子にもそれなりに訳はあるのだろう。 授業が終わる頃には教室に戻ろうと思う。 …

北風の吹く頃に 1

校長先生はいじめはないと言った。 けれどクラスの少なくとも三分の一は由花がいじめられていると知っている。 恐らく半分以上は知っているだろう。 安子は由花に自分の宿題をやらせておいて、みんなの目の前で破り捨てる。 そして由花のノートを横取りする…

出ないための鍵 20 -最終話-

僕は、キーケースから僕のアパートの部屋の鍵をはずして、彼女に返してもらったキーホルダーにつけた。 キーケースに彼女の家の鍵をつけた。 「鍵、返しますね」 僕はまだ新しくて革のぴかぴかしているキーケースごと彼女に鍵を渡した。 彼女は泣きそうな顔…

出ないための鍵 19

公園の中ほどにあるベンチは照明に照らされていたが、上を蚊柱が渦を巻いていた。 それでなくとも、夜の公園の真ん中に彼女を連れて行く気は起きなかった。 入口そばのいちばん大きな明るい街灯の下に入り、ハンカチを地面に広げ、物をひとつひとつ出してい…

出ないための鍵 18

鍵のありかは気になるが、黙っているのも息が詰まる。 「キーホルダーは、この間気づいていたんですけど、言いそびれてしまいました」 僕は頭を掻く。 「やっぱり、あなたのだったんですね」 驚けばいいのか、どうすればいいのか。 僕は彼女の顔を見る。 「…

出ないための鍵 17

目が覚めると、掃き出し窓から見える庭は、住宅街を照らす街灯の光を常緑樹の葉が反射しているほかは暗かった。 彼女は僕が眠ってしまったときと全く同じ位置でカーペットの上に正座をしていた。 「うわ、こんな時間まで。すみません」 夜の8時くらいだろう…

出ないための鍵 16

気がつくと、僕は彼女の家のソファに横になっていた。 「わあ、ごめんなさい」 僕はひたいに手を当てて体を起こそうとした。 ひたいには熱を取るシートが貼られていて、わきの下とももの間にはタオルを巻いた保冷剤がはさめてあった。 ものすごくだるい。 体…

出ないための鍵 15

次に彼女を見かけたのは、強い日射しが降り注ぐ暑い日だった。 彼女は、前と同じ白いドレスを着て、大きな麦わら帽子をかぶっていた。 ぼくは、炎天下の中を歩いて来ていてふらふらだった。 公園の中に入り、ペットボトルの水をごくごくと飲んでいると、真横…

出ないための鍵 14

「お父さんはほとんど居ないのに?」 僕は素朴な質問をした。 「ええ」 彼女は外を見たままだ。 チワワが彼女の正座した脚にお尻をつけて横になる。 「あなたの部屋は」 「1階です」 前に来たときの、食事がのせられているお盆が廊下の床に置かれていたのを…

出ないための鍵 13

リビングに、ドライヤーの風の吹き出る音と、彼女の嗚咽、何度もの鼻をかむ音が響く。 彼女を見上げていたチワワは、彼女のかたわらでふせをしてじっとする。 泣くことが必要なんだな。 視界の中に彼女を置いて乾かす。 片方の裾がほとんど乾き、彼女が水気…

出ないための鍵 12

「ドライヤー持って来ます」 僕の顔を見上げた彼女の目は涙がたまり、赤くなっていた。 「いいですよ、大丈夫です」 僕の返事を待たずに彼女は廊下へ飛び出して行った。 チワワは、彼女の動きを首を動かして追ったが、タオルの山から離れなかった。 なんだか…

出ないための鍵 11

少し寒気がしてきた。 彼女はハッとした顔になった。 「タオル、持ってきますね」 彼女はひざの上のチワワをソファの上に移して立ち上がり、廊下に小走りで出て行った。 真っ白でふかふかのバスタオル2枚と、フェイスタオルをたくさん両手で抱えきれないほど…

出ないための鍵 10

ドライヤーは、彼女が取りに行きづらいところにあるのだろうか。 彼女の次の言葉が出ないので、僕は一番気に掛かっていたことを口にした。 「お手伝いさんとは、うまくいっているんですか」 彼女は両手をひざにそろえたまま、首をかしげた。 「うまくいって…

出ないための鍵 9

お盆に氷を入れたアイスコーヒーのグラスをのせて彼女が戻ってくると、チワワも一緒に戻ってくる。 彼女は僕の前のテーブルにグラスを置いた。 ガツン、と音がした。 来客の相手をするのはいかにも不慣れな感じだった。 「ごめんなさい」 「いや、大丈夫」 …

出ないための鍵 8

玄関のタイル敷きの土間にはバケツが置いてあり、濡れぞうきんがかけられていた。 チワワは彼女にあしを拭いてもらい、玄関の床に下ろされると、廊下の右側のドアの開いた部屋へ小さなあしを動かし入っていった。 彼女は同じぞうきんで自分の泥だらけになっ…

出ないための鍵 7

家の前に着き軒下に入ると、僕は彼女の傘を受け取りたたんだ。 彼女は玄関ドアのノブをおもむろに手前に引いた。 ドアは開かなくて、彼女の体がガクンと揺れる。 彼女はチャイムのボタンを押す。 何も反応がない。 「こんな雨なのに、タエコさん、出かけたの…

出ないための鍵 6

彼女は僕たちの目の前にかぶるように垂れている枝先の向こうの、雨でグレーに見える住宅街をぼうっと見ながら言った。 僕のチノパンは地面からの跳ね返りでずいぶん濡れてしまっていた。 それよりも、薄着の彼女が風邪を引きそうで心配だった。 「小降りにな…

出ないための鍵 5

「あれから、どうですか」 彼女はチワワを抱き直し、うつむいた。 「隣町に映画を観に行きました。映画館で観たのは小学校のとき以来でした」 「ひとりでですか」 「はい」 「ほお」 僕は目を丸くして口もとをゆるめた。 「楽しかったですか」 「ええ。ひと…

出ないための鍵 4

2週間後、僕はまた彼女の家のそばへ出かけた。 前に会ってから1週間で気がかりになったのだけど、仕事でどうしても足を運べなかった。 梅雨が始まっていた。 天気がもてば公園で会えるかもしれないと淡い期待を抱いていたが、公園に着く頃には本降りになって…

出ないための鍵 3

「すてきなドレスですね」 「ありがとうございます」 また沈黙に戻る。 「こわいんです、あの家」 「何がですか」 「父が半年に一度帰って来るんですけど、それ以外は息が詰まるんです。ごはんもあの人と食べる気がしないんです」 「無理して一緒に食べなく…

出ないための鍵 2

家に帰り、机の上に鍵を置いて考える。 このまま持っていても仕方がない。 それに、鍵だから捨てるのも気が引ける。 私も困るんです、という言葉が気に掛かる。 やはり何とかして会うしかないようだ。 住宅街には合わなかったが、ぺたんこのサンダルに手ぶら…

出ないための鍵 1

住宅街を歩いていたら、いつの間にか女の子が前を歩いていた。 何も荷物を持っていない。 手ぶらには似つかわしくない、ユリの花をふたつ伏せて重ねたような白いドレスを着ている。 足元はかかとの低いサンダルだ。 女の子はふいに鍵を落とした。 形はふつう…

夕焼け色の石

小さな女の子のリヨンは、家の前の空き地で絵を描いて遊んでいました。 地面ばかり見ていたので、リヨンのすぐ近くに来た旅人がそばの石を拾い上げるまで、旅人に気づきませんでした。 大きな手が石を拾い上げて、石が上に運ばれるのを、リヨンの目は石に吸…

魂追跡サービス -3-

魂追跡サービスのシェアナンバーワンを誇るソウル・チェイサー社のハートン・ロックウェル取締役の役員室に、キジュ課長とカグラザキ係長が生命保険会社とのタイアッププロジェクトについて進捗を報告しに来ていた。 「キジュ、競合のリサーチデータはどうし…

魂追跡サービス -2-

魂追跡サービスは信仰している宗教によってサービスを受ける期限を決める場合が多い。仏教徒なら49日、キリスト教徒やイスラム教徒は10日から2週間、無宗教の場合は3週間程度とするのがほとんどである。無期限というのはない。いつまでも故人のことばかりで…

魂追跡サービス -1-

「お父さん」 「お父さん死んじゃいやだ」 「あっ、お父さんの魂が地図に表示された」 「じゃあ死んじゃったの」 「まだ家の中にいるよ」 死後の生命エネルギーの移動が解明され、生命エネルギーが肉体から離れることを死と定義するようになった。生命エネル…

工事中断のお知らせ:『彩夏夜』をまとめ直し中です

今年5月から6月にかけてUPしてきた『彩夏夜』全44編をまとめ直そうとしましたが思いの外進みませんでした。 編集する際にはタイトルを変える予定です。 2016年9月19日 00時05分現在

これから j

「お待たせしました」 明人は、ビルの外壁に寄り添うようにして立っているOL風の制服姿の女性に声をかける。 「いいえ、待っていませんけど」 女性は訝しげに明人の顔を見る。 「僕のような人を待っていませんでしたか」 「僕のような人って?」 「例えば、…

これから i

混乱している。 考えたくないことを考えなければいけないからだ。 降りてきたら何か言わなければ。 美咲は椅子を立つ。 お金をかけたくないわけではない、ということは。 美咲は膝から崩れ落ちそうになる。 どうしようもないことを責められても仕方がない。 …

これから h

公数は青菜の煮びたしをつついている。 葉の一枚を箸先でつまむと葉がびろっと伸びる。 葉をまとめて出汁につければおいしいものを、伸びてたれ下がったままの状態で口を横から持っていき、食べる。 あまりおいしそうに食べているようには見えない。 香子は…

これから g

ときどき、不安になる。 清星と始まったときは、代わりに過ぎないのだからと、考えが浅かった。 今にして思えばなのだけれど。 知世子さんの体が良くなれば、終わってしまうのだろうか。 治療の甲斐がなく亡くなってしまったら、清星は瑠璃とずっと今までの…

これから f

「ほんとにいいのかよ、それで」 「もう決めちゃったよ」 「なんだかもう、言いたいことは山ほどあるけどな」 紋二はモヒートのグラスを両手で囲むように持つ。 長袖Tシャツの袖口から出ている手の甲は毛深い。 紋二が離婚すると聞いたときは驚いたが、理由…

これから e

「気持ち、変わらないの」 「うん」 電話口の向こうで、瑠璃は気弱な声を出す。 「清星(きよぼし)さんの所に行きたいんじゃなくて」 「わからない。それでもいいと思ってるわ」 「ひとまかせじゃない?」 「決めることのほうがストレスなのよ」 トシ子は旅先…

これから d

今朝はオムレツとウインナーがメインだ。 昨夜の夕食は公数には少なかったかな、と思い、公数の分のオムレツは卵3個分だ。 後に家を出る香子の分と自分の分を一緒につくる。 卵4つを使ってつくり、皿にのせるときに切り分ける。 香子は中のチーズが溶けて…

これから c

「浮気ってなんだろうね」 とトシ子は言う。 「2人とも本気で好きでも、浮気と言うのかな。うわきの響きって、遊びみたいだよね」 頼子はアイスティーをストローで吸い上げながら、軽くうなずく。 否定する気はない。 「1対1のつき合いでまるくおさまらな…

これから b

「何が悪いのかわからないな」 明人(あきと)はあたたかい紅茶の入った肉厚のマグカップを、持ち手に太い指を三本通して持つ。 三本の指でいっぱいで、小指はのけものにされた格好になっている。 「だけどさ、考えてみろよ。リアルな絵をさ」 法於(のりお)は…

これから a

「カズくんがね、別れたいって言うのよ」 「えっ。先週のバーベキューで楽しそうにしてたじゃない。香子(こうこ)ちゃんとも今までどおり仲がよかったし、うちのさみえとも遊んでくれてたよね」 「川遊びが好きだから。誰だっていいのよ」 美咲の言い方には毒…

ブログ記事を移動しました

ブログ「七年後の空中ブランコ」に載せていた、小説『片手袋の彼女(一)~(十四)』と『果たし状1~10』をこちらに移しました。 こちらのブログの初めのほうに載せたかったので、投稿日時をいじってあります。 筆:碧井 ゆき

あなたとコーヒーを (下)

その次の週の同じ曜日の同じ頃も僕は銀行の壁にもたれかかってコーヒーを飲んでいたけれど、安立さんの姿は見なかった。 その三日後、僕はコーヒーショップの外の椅子に腰かけ、ホットコーヒーをテーブルに置いて本を読んでいた。 本当は絵を描いていたいの…

あなたとコーヒーを (上)

いつもの銀行の壁にもたれてコーヒーショップで買ったブラックのコーヒーを飲んでいると、グレーのパナマ帽をかぶった初老の男性が帽子に手を遣りながら僕の前で立ち止まった。 「そちらのコーヒーはどこで買われましたか」 道を聞かれるのかと思っていたけ…

彩夏夜160696

「帰るところがあると思うと安心でした」 と武端は言う。 武端が帰国していたときに、母に頼んで養子縁組をしてもらった。 周りに説明しやすくする、ただそれだけのために。 明快な回答があると、人はそれ以上質問しない。 武端は庭につくられた離れに暮らし…

彩夏夜160695

「弟なんです」 「まあ、弟さんがいたの」 「はい」 細かく説明する気はない。 距離を保ってつき合いを続けてきてくれたご近所には感謝している。 武端は撮影中の怪我で歩けなくなって帰ってきた。 帰国の1か月前に、金髪の可愛い女の子の写真を載せたはが…

彩夏夜160607-02

簡単なルールの説明から始まって、技の解説を無駄なく的確にする。 ほかの格闘技から転向してきた人の話になると千奈美も知っている名前が出てくる。 30分くらい経っても、話を聞き終えた気がしない。 まだ日は高いが、いつも食べているような刺身や天ぷら…

彩夏夜160607

正解とまちがいの差はどこにあるのだろう。 由芽奈はだんだん芹沢に似てきた。 刻生の手順がなければああはならなかった。 帰省した翌週、千奈美は映画を見に行ったショッピングモールで偶然芹沢に会った。 紙谷橋たちと宿泊先とその前に食事をするアルコー…

彩夏夜160689

美知からは毎年年賀状が届く。 湊也くんは16歳になった。 美知は出産後も武端と離婚してからも、勤め先を変わることはなかった。 武端からは数年に一度、実家あてに海外みやげが届く。 山場との住まいは和志が生まれる頃に引っ越す可能性が出て来ていたの…

彩夏夜160603

武端の名刺を受け取るとき、美知はすぐに手を引っこめなかった。 名刺の下で、美知の薬指と武端の人差し指が触れた。 震えていることがわかってしまったと思う。 恥ずかしかった。 武端も櫂子も大人の態度で落ち着いていた。 武端は慣れているのだろうし、櫂…

彩夏夜160602-02

芹沢が来ると安心だ。 刻生と紙谷橋と征満で千奈美としては事は済むのだが、芹沢はいたわってくれる。 芹沢が来るときは最後か、紙谷橋が来ないときは二番目が多い。 話すことがあまり得意でなく気の利いた返しをしないが、細かい所作の先までいつも千奈美に…

彩夏夜160602

お願いだけはできない。 してもらったということだけが残るといつまでも心にしこりになる。 「一緒に暮らせることはこの先ないということですか」 武端は両手を奥行きの浅いベンチ板にのせて体を支える。 「武端さんの子どもを見たいんです。本当に」 のどの…