碧井 ゆき の物語

こんにちは。碧井ゆきと申します。ここにはわたしが書いた小説をのせています。twitter.com/snowycrow2blue https://note.mu/snowycrow2blue

あなたとコーヒーを (下)

その次の週の同じ曜日の同じ頃も僕は銀行の壁にもたれかかってコーヒーを飲んでいたけれど、安立さんの姿は見なかった。

その三日後、僕はコーヒーショップの外の椅子に腰かけ、ホットコーヒーをテーブルに置いて本を読んでいた。

本当は絵を描いていたいのだけど、食べ物や飲み物を出す店でペンをせわしなく動かすのは気が引ける。

主人公が追っ手に追い詰められ、次の展開が気になり汗ばむ親指で左のページの隅を押し上げようとしたとき、

「ケンヤさん!」

と呼ばれ、どきっとして声のした方に振り向いた。

「あ、安立さん」

かぶっている帽子に手を遣っている安立さんが立っていた。

「今日は座ってるんですね」

「本が読みたくなりましたし、コーヒーが熱くて持てなくなりまして」

言ってから、ちょっと嘘が入ったと思った。

コーヒーが熱くて持てなくなったのがもともとの原因だ。

「読書のお邪魔をして申し訳なかったですね。おわびに、中で甘いものでもごちそうさせてくれませんか」

おわびされるほどのことではないけど、ちょうど甘い物が食べたくなってきた具合だったので、安立さんについて店に入った。

安立さんはガトーショコラとホットコーヒーを頼んだ。

僕は季節限定のくだもののショートケーキかミルクレープか迷って、ミルクレープにした。
自分で払うつもりだったのに、安立さんがあまりにも自然に千円札をレジのトレーに置いたので、断るのもおかしく感じてすみません、と言ってしまった。

「博物館どうでしたか」

僕はいただきます、と言った後ミルクレープをフォークで切りながらたずねた。

「ああ、良かったですよ。海外の大博物館の展示物が一部日本に来てましてね」

安立さんはそのうち感動したものを二、三点説明した。

「いちばん驚いたのは、一緒に行った友人の捉え方でした」

僕は大きく切り過ぎたミルクレープを口の中で持て余していた。

「昔、映画や美術館や博物館によく一緒に行った友人なんです。ちょうどケンヤさんくらいの歳の頃に」

安立さんはにこっと笑った。

「ですから、四十年ぶり近くになりますね」

やっとミルクレープがのどを降りていった。

「どうして驚いたんですか?」

安立さんは少し困ったようなしわを目尻に寄せた。

「前と同じ見方と、前は言わなかったようなことがあったんです。苦労したんだな、と思いましてね。それに気づいた自分もなんか嫌で。それでも同志愛みたいなものを感じましてね」

僕は握っているフォークの先を皿につけたまま疑問に思ったことを口にした。

「前と、今との違いをなぜ苦労したからと思ったんですか?」

安立さんは目だけで驚いて僕を見た。

「そう言われてみるとそうですねえ。なぜだろう」

なぜだろう、は自分に向けて言ったようだった。

安立さんの目はコーヒーショップの壁から天井をぐるりとたどって、一周して僕の目に戻ってきた。

「苦労でなくてもいいんですね。経験でも。ぼんやりしてますが」

安立さんはこちらも心がほどけるようなふわっとしたあたたかな笑顔を見せた。

 

僕は安立さんの笑顔が見られてほっとして、ミルクレープを再び切り分けようとフォークを差しこんだ。

「ケンヤさんは、コーヒーはいつもこのお店でですか?」

「ええ」

僕は口をもぐもぐさせながら言った。

なんだか嫌な予感がした。

「いつも大体このくらいの時間で?」

「はい」

上目づかいで答えた。

「あのう、訊きづらいけど訊きたいのですが、今流行りのニートとかいう立場ですか?」

やはり、訊かれるのだ。

「二浪の宅浪です」

訊かれたときはあっさりこう答えることにしている。

「にろうのたくろう?」

安立さんは意味がよくわからなかったみたいで、こだまみたいに言い返した。

「自宅浪人の二浪目です」

「ああ、浪人生ですか」

合点がいったというように安立さんは打ち解けた笑顔になった。

この人の笑顔はほんとに安心できる。

「家にばかりいるとメリハリがなくなるんです。通る人や車をながめると息を吹き返す気持ちになります」

愚痴っぽく聞こえないか気をつけたつもりだった。

「いいですね。ケンヤさんの言葉はこちらが洗濯されてる気分になります」

僕は廊下にいて、廊下と同じ形と体積の空気が僕のいない後ろのほうへ移っていった気がした。

「では、来年の春にはこのようにはお話できないんですね」

安立さんはさっきと変わらない安心させられる笑顔だ。

さびしさが気持ちをかすめたが、カーブを描いてはね返った。

別のいいものに変わった気がした。

「一緒に食べるケーキっておいしいですね」

僕は女の子に言うようなことを言った。

「ええ、本当に」

安立さんは最後から数えてふた口めのガトーショコラを口の中に入れた。

 

ー終ー

 

 

 

 

 

 

 

※「あなたとコーヒーを」は、2015年の梅雨の頃に書き、同年7月に「第1回藤本義一文学賞」に応募したものです。枚数要件が足りませんでしたが、文章を読みこなされている第三者に読んでほしいという思いと、当時患っていた父への思いをのせて応募させていただきました。父はこの年の9月に亡くなりました。