碧井 ゆきの物語

こんにちは。碧井ゆきと申します。ここにはわたしが書いた小説をのせています。

魂追跡サービス -1-

「お父さん」

「お父さん死んじゃいやだ」

「あっ、お父さんの魂が地図に表示された」

「じゃあ死んじゃったの」

「まだ家の中にいるよ」

死後の生命エネルギーの移動が解明され、生命エネルギーが肉体から離れることを死と定義するようになった。生命エネルギーと魂は厳密に言うと異なるのだが、研究者以外は魂と呼ぶことが多い。

息子で小五の辰男が見ているのは、死後の生命エネルギーの位置が示されている液晶画面の地図である。宗則の死期が近いとわかり生前に魂追跡サービスに加入したのだ。

宗則の生命エネルギーの位置を示すコマであるシルバーの小さな円は、宗則が横たわっている寝室をうろうろし、隣家と面している壁から外に出たが戻ってきて、自分の体の上に停滞した。しばらくすると窓のあたりからふらふらと出て、強風にあおられたかのように遠ざかって行った。

「お父さん行っちゃったね」

「ちょっと諦めが悪かったねえ」

「しばらくはどこにいるかわかるから寂しくないわね」

妻のちさとが画面に見入っている辰男と、宗則の魂が出て行った窓を見つめている娘で小学一年の小冬を見遣りながら言った。

 

宗則の棺には仏教の宗派のひとつである垢沙汰奈教の作法にのっとった経帷子、天冠、手甲、脚絆、草履などの旅装束一式が収められた。宗則は宗教を持っていなかったので、身には着けず、宗則に言葉をかけながら体のかたわらにちさとと、辰男、小冬が順に置いた。親類は垢沙汰奈教で葬儀を行っているため、あの世で先に逝った親類に会いやすいようにというちさとの配慮である。

「いらないんだが無下に断ることもできんよなあ」

宗則は旅装束の一式を胸に抱えたまま宙に浮いていた。まわりは旅装束を身に着けている者が多く、白い狩衣姿は神道、胸に十字架を掲げているのはキリスト教徒とわかる。半そで短パンの軽装の者は南国からだろうか。頭を布で覆っている女性はイスラム教徒だろう。全身を白い布で覆っている者も見える。

神道の人は家にとどまるはずだし、イスラムの人は天には上がらないと聞いていたが。きっと私の考えうる人が見えているのだろう」

初めて目にする、いかにも儀礼にしか使われなさそうな道具を抱えている者もいる。

宗則は仕事で愛用していた背広の上下を着ていた。最後の療養の際に受けていた訪問看護の看護師にちさとが頼んで死後にねまきから着せ替えたのである。

旅装束は経帷子をいちばん下にして脚絆やほかのものを載せていたのだが、抱えているのが面倒になってきた。身に着けてしまおうか。草履は履いても気持ちよさそうだが、脚絆はズボンのすそ幅が太くて合わなさそうである。経帷子と天冠を身に着けるのはどうにも抵抗がある。それに、草履に履き替えても脱いだ靴を持っていなくてはいけないではないか。宗則はどうしたものかと目を右往左往させた。

「細々とお持ちですねえ」

肌が浅黒く眉の濃い頭にターバンを巻いた男性が声をかけてきた。

「この袋を差し上げましょうか。私たちの住むところではこの袋に向こうでの食べ物を入れるんですが、どうもなくても済みそうです。ここでは重さがありませんから、袋から出してこうやって持てばいいですし。それは葬送してくれた方が用意したものなのでしょう。そう放ったらかしにもできませんよね」

男性はしゃべりながら、大きな白の布袋からすいかほどの大きさの赤いごつごつしたくだものを取り出して片手で胸に抱えた。みずみずしそうなくだものだ。

「ありがとうございます。私は無宗教なのでこの装束はなくても大丈夫なのですが、持っていればいつか誰かの役に立てるかもしれませんね」

宗則は渡された布袋に脚絆や草履などを入れ、布袋の口をすぼめて閉じた。

布袋の口を持って肩に背負うように掛けるとサンタクロースになったような気分になった。困っている人はいないだろうか。

 

 

 

 

 

☆『魂追跡サービス』は、「碧井ゆき」のペンネームで2015年9月に第3回星新一賞に応募したものです。記述を改めてあります。