碧井 ゆきの物語

こんにちは。碧井ゆきと申します。ここにはわたしが書いた小説をのせています。

2016-10-01から1ヶ月間の記事一覧

出ないための鍵 10

ドライヤーは、彼女が取りに行きづらいところにあるのだろうか。 彼女の次の言葉が出ないので、僕は一番気に掛かっていたことを口にした。 「お手伝いさんとは、うまくいっているんですか」 彼女は両手をひざにそろえたまま、首をかしげた。 「うまくいって…

出ないための鍵 9

お盆に氷を入れたアイスコーヒーのグラスをのせて彼女が戻ってくると、チワワも一緒に戻ってくる。 彼女は僕の前のテーブルにグラスを置いた。 ガツン、と音がした。 来客の相手をするのはいかにも不慣れな感じだった。 「ごめんなさい」 「いや、大丈夫」 …

出ないための鍵 8

玄関のタイル敷きの土間にはバケツが置いてあり、濡れぞうきんがかけられていた。 チワワは彼女にあしを拭いてもらい、玄関の床に下ろされると、廊下の右側のドアの開いた部屋へ小さなあしを動かし入っていった。 彼女は同じぞうきんで自分の泥だらけになっ…

出ないための鍵 7

家の前に着き軒下に入ると、僕は彼女の傘を受け取りたたんだ。 彼女は玄関ドアのノブをおもむろに手前に引いた。 ドアは開かなくて、彼女の体がガクンと揺れる。 彼女はチャイムのボタンを押す。 何も反応がない。 「こんな雨なのに、タエコさん、出かけたの…

出ないための鍵 6

彼女は僕たちの目の前にかぶるように垂れている枝先の向こうの、雨でグレーに見える住宅街をぼうっと見ながら言った。 僕のチノパンは地面からの跳ね返りでずいぶん濡れてしまっていた。 それよりも、薄着の彼女が風邪を引きそうで心配だった。 「小降りにな…

出ないための鍵 5

「あれから、どうですか」 彼女はチワワを抱き直し、うつむいた。 「隣町に映画を観に行きました。映画館で観たのは小学校のとき以来でした」 「ひとりでですか」 「はい」 「ほお」 僕は目を丸くして口もとをゆるめた。 「楽しかったですか」 「ええ。ひと…

出ないための鍵 4

2週間後、僕はまた彼女の家のそばへ出かけた。 前に会ってから1週間で気がかりになったのだけど、仕事でどうしても足を運べなかった。 梅雨が始まっていた。 天気がもてば公園で会えるかもしれないと淡い期待を抱いていたが、公園に着く頃には本降りになって…

出ないための鍵 3

「すてきなドレスですね」 「ありがとうございます」 また沈黙に戻る。 「こわいんです、あの家」 「何がですか」 「父が半年に一度帰って来るんですけど、それ以外は息が詰まるんです。ごはんもあの人と食べる気がしないんです」 「無理して一緒に食べなく…

出ないための鍵 2

家に帰り、机の上に鍵を置いて考える。 このまま持っていても仕方がない。 それに、鍵だから捨てるのも気が引ける。 私も困るんです、という言葉が気に掛かる。 やはり何とかして会うしかないようだ。 住宅街には合わなかったが、ぺたんこのサンダルに手ぶら…

出ないための鍵 1

住宅街を歩いていたら、いつの間にか女の子が前を歩いていた。 何も荷物を持っていない。 手ぶらには似つかわしくない、ユリの花をふたつ伏せて重ねたような白いドレスを着ている。 足元はかかとの低いサンダルだ。 女の子はふいに鍵を落とした。 形はふつう…

夕焼け色の石

小さな女の子のリヨンは、家の前の空き地で絵を描いて遊んでいました。 地面ばかり見ていたので、リヨンのすぐ近くに来た旅人がそばの石を拾い上げるまで、旅人に気づきませんでした。 大きな手が石を拾い上げて、石が上に運ばれるのを、リヨンの目は石に吸…