碧井 ゆきの物語

こんにちは。碧井ゆきと申します。ここにはわたしが書いた小説をのせています。

出ないための鍵 3

「すてきなドレスですね」

「ありがとうございます」

また沈黙に戻る。

「こわいんです、あの家」

「何がですか」

「父が半年に一度帰って来るんですけど、それ以外は息が詰まるんです。ごはんもあの人と食べる気がしないんです」

「無理して一緒に食べなくてもいいですよね」

「ええ、まあ。でも、つくってくれるから悪い気がするんです」

「一緒に食べたいと言われましたか?」

「いいえ」

彼女はまた黙り込む。

「今日はもう帰ったらどうですか。それとも、ファミリーレストランで夕ご飯でも一緒に食べましょうか」

彼女は、とんでもないといった様子でかぶりを振る。

「いいえ、大丈夫です。ありがとうございます」

ブランコを降りた彼女は、公園の出口に向けて走り出す。

「あの、これ」

僕は鍵をかかげる。

「持っていてください」

住宅街じゅうに響く大きな声だった。

出ないための鍵 2

家に帰り、机の上に鍵を置いて考える。

このまま持っていても仕方がない。

それに、鍵だから捨てるのも気が引ける。

私も困るんです、という言葉が気に掛かる。

やはり何とかして会うしかないようだ。

住宅街には合わなかったが、ぺたんこのサンダルに手ぶらだった格好からして、遠くに出掛けた帰りではないだろう。

もう一度、近くに行ってみることにした。

 

一週間後の夕方、彼女の家に着く手前にある公園で、ブランコに乗っている彼女を見つけた。

この間と同じ服とサンダルだ。

「あのう」

次の言葉が出てこない。

ポケットから鍵を取り出して見せる。

「あ、このあいだの」

なんだか、やつれている。

白を着ているせいか顔が青ざめて見える。

「持っていてください」

僕から目をそらして正面を見る。

「どうしてですか」

僕は隣のブランコに腰かけた。

ブランコを漕ぐ彼女の足が止まる。

「家の人が心配しますよ」

見たところ17、8歳に見えるし、まだ日が残る時間で心配されるとも思えないのだが、住宅街には非現実的な格好と顔色の悪さから、そんな言葉が出た。

「あの人、いつも居るんです」

彼女は、唐突に言った。

「お手伝いさんのことですか」

「ええ、まあ」

会話が途切れる。

「お手伝いさんなら、いつも居ますよね」

「今も、居たんですよ。私が出かけるときも帰るときも全部知っているんです」

「それはそうでしょうね」

彼女は、きっ、と僕をにらみ返す。

「出かけている時間でどこに行っていたか詮索されそうで、遠くに出かけられないんです」

僕は目を丸くする。

「気にしなければいいじゃないですか」

「えっ」

「詮索されている訳ではないんでしょう?」

「…ええ、まあ」

彼女はばつが悪そうになり、ブランコを漕ぎ始める。

合わせて僕も漕ぐ。

彼女のドレスの裾がはためく。

ひざ小僧が出たり隠れたりする。

出ないための鍵 1

住宅街を歩いていたら、いつの間にか女の子が前を歩いていた。

何も荷物を持っていない。

手ぶらには似つかわしくない、ユリの花をふたつ伏せて重ねたような白いドレスを着ている。

足元はかかとの低いサンダルだ。

女の子はふいに鍵を落とした。

形はふつうだったけれど、鍵穴に差しこむときにつかむところはらでん細工が埋めこまれて光っている。

すぐに、声をかけた。

「鍵、落としましたよ」

彼女は、僕の手の中に収まっている鍵をちらっと見てから僕の顔を見上げて、

「持っていてください」

と言った。

そして、前を向いて歩き出した。

「そんなこと言われても困ります」

僕は彼女を追いかける。

「私も困るんです」

彼女はまた早足で歩き出す。

「どこの家のかわからないとしょうがないですよ」

彼女はちょっとだけ振り向く。

そして、突然右に曲がり一軒の家の中へ入った。

ブロックの積まれた門柱がまわりの家よりもりっぱな家だ。

 

ぴたっと閉められたドアのかたわらの呼び鈴のボタンを押すと、年配の女の人が出てきた。

女の子の母親にしては歳が上のように感じる。

お手伝いさんだろうか。

「あのう、ここの家の人が落し物をするのを見まして」

僕は、ちょっと迷ったが、自分のアパートの部屋の鍵を外しておいたキーホルダーを示して言った。

金属製の地球に翼が生えているデザインで中に鈴が入っている。

「それはすみません。お嬢さん。お嬢さまぁ」

お手伝いさんらしい人は、玄関からまっすぐ延びる長い廊下の奥に向かって叫ぶ。

廊下は暗い。

女性の向こうに、器に盛られた料理が並べられたお盆が床に置かれているのが見える。

女性はお盆が前に置かれたドアをノックする。

そして玄関のほうに戻ってくる。

「だめみたいです。申し訳ありません」

「いいえ。突然すみませんでした」

引っ込みがつかないので、キーホルダーは女性に託した。

ずいぶん使ったものでポケットに入っていることが多かったから、ところどころ色落ちして摩耗している。

まあ仕方がない。

僕はその家を後にした。

夕焼け色の石

小さな女の子のリヨンは、家の前の空き地で絵を描いて遊んでいました。

地面ばかり見ていたので、リヨンのすぐ近くに来た旅人がそばの石を拾い上げるまで、旅人に気づきませんでした。

大きな手が石を拾い上げて、石が上に運ばれるのを、リヨンの目は石に吸いつけられるように追いました。

「このあたりの石は、いい石だね。」

旅人は、地面にしゃがみ込んだまま見上げているリヨンににこっとほほえんで、背中にしょっている古ぼけたかばんから、一枚の布きれを取り出しました。

薄くて、軽そうで、シャボン玉の膜のように淡い虹色に輝く布きれです。

旅人の大きな手では中指の頭が出るほどの大きさです。

旅人は、その布きれで先ほど拾い上げた石を磨き始めました。

ついさっきまで何のへんてつもなかった石が、旅人が親指に力を込めてひと磨きひと磨きしていくうちにつるつるになり、青みがかったくすんだねずみ色だったのが、きれいなしま模様のあるぴかぴかの緑色の石になりました。

それはもう、石というにはとても美しくて、宝石のようです。

リヨンが石を磨いている旅人の指先と、美しく光るようになった石に見とれていると、旅人は、

「やってみてごらん。」

と言って、布きれをリヨンに手渡しました。

リヨンが地面に転がっているどの石を磨くか迷っていると、

「色でも形でも手ざわりでもいいから、自分の好きなのを選んでごらん。心を込めて磨くことが大事なんだ。」

と言いました。

リヨンはずいぶん迷って、道の端に落ちていた三角形の石を拾いました。

つやがなくて、ざらざらとした暗い緑色の石です。

リヨンは、石のひとつの面を磨き始めました。

力を込めているのに、なかなかぴかぴかになりません。

旅人は言いました。

「きみは、大切に思う人はいるかい。」

リヨンの頭には、いつも優しく笑っているお母さん、ときには厳しいけれどリヨンを抱き上げてくれる腕が頼もしいお父さん、リヨンが遊んでやるときゃっきゃと笑い声をあげる小さな弟のデイビッドの顔が浮かびました。

「お母さんと、お父さんと、弟のデイビッド。」

旅人はにこっとほほえみました。

「それなら、磨き上げたらいちばんに、お母さんとお父さんと弟のデイビッドに見せよう。」

リヨンは、お母さんとお父さんとかわいい弟に自分の力できれいに輝くようになった石を見せたくて、一生懸命心を込めて石を磨きました。

心を込めて磨くと、石はどんどんぴかぴかになりました。

磨けば磨くほどぴかぴかになるので、おもしろくなってきて、もっと磨くと、石はこがね色に輝き始めました。

「やっぱり、このあたりの石はすばらしい。」

旅人は言いました。

「将来、お母さんやお父さんや弟よりも大切に思う人にきっと会う。そうしたら、もっと石を美しく磨けるよ。」

旅人はそう言って去っていきました。

リヨンは旅人が去ったあとも石を磨き続けましたが、石はうっすらとしたこがね色の輝きのままで、それ以上ぴかぴかにはなりませんでした。

リヨンは磨いた石を家に持ち帰り、誕生日プレゼントが入っていた箱に結ばれていたサテンのリボンや、お母さんがリヨンのブラウスを作ってくれたときに余った白いレースや、お父さんと森で拾った殻つきのくるみとかの、宝物を入れているクッキーの缶に、美しい布きれと一緒にそっとしまいました。

お母さんにもお父さんにも弟のデイビッドにも見せませんでした。

リヨンは石を磨くことを忘れてしまいました。

 

 

十数年が経ち、リヨンは美しいむすめになりました。

ある日、道端に転がっているピンクがかった丸い石が目に留まって幼いころを思い出したリヨンは、クッキーの缶にしまい込んでいた美しい布きれでその石を磨いてみました。

石はどんどんつやを増し、ぴかぴかになり、もっと磨くとまるで埋もれていた粉雪が浮き出したかのように、やわらかく上品に光りました。

リヨンが石を磨いているときに思い浮かべていたのは、隣にある西の村のオスカーでした。

リヨンの住む北の村と、隣り合う南の村と西の村の三つの村は、毎年秋の収穫の季節になると、協力して大きなお祭りを開きます。

お祭りの期間中は、それぞれの村から選ばれた若者たちが音楽隊を組んで三つの村の通りを練り歩きます。

オスカーはその音楽隊の先頭で角笛を吹いていた青年でした。

リヨンは、磨き上げた石をオスカーに見てもらいたいと思いました。

オスカーのことは、西の村に住んでいるということしか知りません。

それでもリヨンはオスカーに石を見せたくて、石と美しい布きれをいつかお母さんにもらった山羊の革でできた小さな袋に入れて首から下げ、西の村に向かって歩き始めました。

西の村までの砂利が転がる道は、ふだんは人も馬車もほとんど通りません。

こんなに長い道のりを歩くのは初めてでした。

砂利が靴の裏に食い込んで、足がとても疲れたころ、道の向こうから王様の行列がやってきました。

王様の乗った馬車がリヨンの前を通り過ぎるとき、リヨンは敬意を込めて深々と頭を下げました。

そのときに、首から下げていた革袋から、磨き上げた石が転がり出てしまいました。

王様はそれをお付きの者に拾わせて、リヨンに、

「これはそなたのものか。」

とたずねました。

「はい。そうです。」

リヨンは答えました。

王様はお付きの者から石を受け取り、言いました。

「こんなに美しい石は見たことがない。どうか譲ってもらえまいか。礼として100万ゴードン差し上げよう。」

100万ゴードンというと大金です。

リヨンだけでなく、お父さんやお母さんや、弟のデイビッドのまたその孫の代まで仕事をせずに暮らしていける金額です。

「お気に召しまして、光栄です。でも、私はその石をどうしても見せたい人がいるのです。」

王様は怒りました。

「余がこれほどの大金を出してまで他人に頼んだことはないのだぞ。そなた、その石はどこで手に入れたのだ。」

「家の近くの道端に落ちていた石を、この布で丹精込めて磨いたのです。」

リヨンは山羊の革袋から美しい布きれを取り出して王様に見せました。

「ほう。その布で磨くとそこらに落ちている石でも美しくなるのか。では、その布を譲ってくれまいか。1000万ゴードン差し上げよう。」

「そんな大金は私にはもったいないです。お金は要りませんので、西の村のオスカーという青年に会わせてもらえませんか。この石を見せたいのはその方なのです。」

「そんなのはわけもないことだ。ではこの石はそなたに返すから、その布きれを渡したまえ。」

リヨンは美しい布きれを王様に差し出しました。

もうこれで新しい石を磨くことはできなくなります。

でも、オスカーに会うことができます。

王様に返された石を革袋にしまい、もう落とすことのないようしっかりと袋の口をひもでしばりました。

 

 

美しい布きれを手に入れた王様は、城に戻ると国じゅうの石を集めさせ、家来たちに磨かせました。しかし、どの石も、どれだけ力を込めて磨いても、ぴかぴかになりません。

不思議なことに、美しい布きれはいくら石を磨いても擦れて穴が開くことはありませんでした。

王様は、

「あのむすめはオスカーに会いたくて余をだましたのだ。むすめを探し出してここへ連れて来い。」

と家来たちに命じました。

王様の計らいでリヨンはオスカーと出会えていて、美しい石に見惚れたオスカーは、リヨンと石とを一緒に眺めて暮らしたいと言い、二人は結婚して子どもに恵まれていました。

幸せな家の中から王様の家来に外へ引っぱり出され、リヨンは王様の前に連れて行かれました。

「そなた、オスカー会いたさに余をだましおったな。あのときの石はどこにある。あれを渡してくれれば許してやってもいい。」

リヨンは答えました。

「王様、お言葉ですが、あの石は私とオスカーと子どもたちが幸せに暮らすために、なくてはならないものなのです。けれど、私はひとつ申し上げていないことがありました。そのことはお詫びいたします。あの布きれは、大切な人のことを思って、心を込めて磨いてはじめて、石を美しく輝かせることができるのです。」

「本当か。では、そなたここでやって見せろ。」

美しい布きれを渡されたリヨンは、城の中にうず高く積み上げられた石の中から、きれいにまん丸なことのほかは何のへんてつもない黒っぽい石を選びました。

リヨンは城の大理石の床の上にひざをついて座り、黒い石を磨き始めました。

かたほうの五本の指と、もうかたほうの人さし指、中指、くすり指、小指でしっかりと、でも優しく石を支え、残りの親指で石を磨きました。

姿勢を正して心を込めて石を磨くリヨンの姿はこうごうしささえあり、見ている家来たちからも王様からも、ほうっ、とため息がもれました。

どれだけの時間が経ったことでしょう。

「できました。」

とリヨンが言いました。

石は上の端はピンク色で、下のほうにいくにつれてオレンジ色に色が移り、夕焼け空をとじ込めたようでした。まばらに光る白い輝きは暮れ始める空に光る星のようです。

リヨンに石を手渡された王様は、

「余は、これだけでいい。」

と言いました。

「布きれは、そなたに返そう。」

 

 

今リヨンは、自分の小さなむすめに石の磨き方を教えています。

まだまだ小さな石しかむすめは磨けませんが、リヨンには出せない美しさを磨き出すこともあるのです。

 

                                   完

 

 

 

 

※この作品は、2015年1月にアンデルセンのメルヘン大賞に応募したものです。

記事の掲載順の都合上、投稿日時を変えてあります。

魂追跡サービス -3-

魂追跡サービスのシェアナンバーワンを誇るソウル・チェイサー社のハートン・ロックウェル取締役の役員室に、キジュ課長とカグラザキ係長が生命保険会社とのタイアッププロジェクトについて進捗を報告しに来ていた。

「キジュ、競合のリサーチデータはどうした」

「あれ、入ってませんか。入れたはずなんですが。あれは販売促進部に戻らないと出せないな。カグラザキ、取りに行ってくれないか」

キジュは慌てた様子で早口で言った。

「あのデータは課長格以上しかパスワード知りません」

「ああ、そうだったな。そうだった。僕が取りに行ってきます。いやはやすみません。すぐ戻ります」

キジュは役員室のドアを開けるときに足をぶつけ、いてっ、と大きな声を出して廊下に出て行った。

ロックウェルはキジュが出ていくのをゆっくりと眺め、自分のデスクの上に積んだ本に視線を落とした。

「なくてもなんとかなるんだけどな」

落ち着いた低い声だった。

「競合のデータですか?」

カグラザキは存外だという顔をした。ロックウェルは本に視線を置いたままゆっくりと首を振った。

カグラザキは落ち着かなくて、座っていた椅子の上でお尻をもぞもぞと動かした。

「本当はわかってるんだ」

「何がですか?」

カグラザキは何を勘繰られたのだろうとひやっとした。

「死後の生命エネルギーの行き先さ。追跡サービスに期限を設けているのは混乱を避けるためだ」

何か勘繰られたわけではないようだ。カグラザキはほっとして次の質問をした。

「どこなんですか?」

「俺のじいさんの魂は姪っ子の生まれてくる赤ん坊に入った」

「知っている人にだと気味が悪いですね」

「お前のおやじさんのもわかっているぞ」

「教えてくれなくていいです」

「60日後にベネズエラの」

「うわあ、名前言わないでください」

「わかっている場合はまだ説明がつく。わからないケースや説明しがたいケースもあってな。期限を設けているのはこのせいのほうが大きいな」

「どんなケースがあるんですか」

「消滅したり、ひとりの赤ん坊に5つも6つも入ったりすることがあるんだ。ひとつの生命エネルギーがいくつにも分かれることもある」

「葬送する方やご家族にはいつもひとつだけ示しているじゃありませんか」

「消えてなくなるのはまずいだろ。複数は困惑するだろう」

「そういうときはどうするんですか」

「つくるんだ」

「…今、何と?」

おっしゃいましたか、が言えなかった。

「故人が生きていた頃に検索していた言葉から推測して動きをつくっている」

「ねつ造にならないんですか」

「最初の説明書に注意書きを入れているからな」

葬送する顧客への説明書には以下のような文言が書かれてある。

 

天文現象等により生命エネルギーの追跡を正確に行えない場合があります。

 

あの文言にはそんな含みがあったのか。仕事とはこんなものだろうかと、カグラザキは気落ちした。

「仕事に身が入らなくなりそうです」

「カグラザキ、これを聞いたということは君は幹部候補だ」

「えっ」

カグラザキはにわかに肩に力が入った。

「大いに力を発揮してくれたまえ」

「ありがとうございます。がんばります」

 

宗則のコマは48日目にちさとたちの住む町に戻ってきた。ただし、高さははるか上空である。

翌日、ちさとと辰男と小冬は仕事と学校を休み、49日目の宗則のコマの動きを見守った。宗則のシルバーのコマは家のまわりをゆっくりくるくると回り、家の上で止まって、小さく震えて消えた。     

 

-完-

 

 

 

 

 

☆『魂追跡サービス』は、「碧井ゆき」のペンネームで2015年9月に第3回星新一賞に応募したものです。記述を改めてあります。

魂追跡サービス -2-

魂追跡サービスは信仰している宗教によってサービスを受ける期限を決める場合が多い。仏教徒なら49日、キリスト教徒やイスラム教徒は10日から2週間、無宗教の場合は3週間程度とするのがほとんどである。無期限というのはない。いつまでも故人のことばかりでなくこれからのことを考えていこうというコモンセンスからである。

宗則の場合は生前の本人の希望を踏まえてちさとと子どもたちが考え抜いたあげく、周囲や親類との関係も考慮に入れて49日目までとした。宗則を送るちさとも無宗教なのだが、仏教の文化の中で幼いころから育つと仏教のサイクルがしみついているのである。

 火葬が行われるまで宗則の魂のコマが動くのはせいぜい隣町までであった。

 火葬の日、宗則の棺が炉に入っていくのをちさとと辰男が小冬をはさみ、三人並んで見届けた。

「お父さん、来てる。僕の隣にいる」

魂追跡サービスの画面を見つめたまま辰男が言った。ちさとと小冬は声をあげて泣いた。

 

 宗則と同じ頃に亡くなった者たちは頭を上にした立ち姿勢でゆっくりと天に上り続けていた。

 しばらくすると、上がらずにもがいている青年がいた。まるでガラスの天井に手を這わし抜け出る穴を探しているようだ。宗則は何も引っかかる感じはなく青年のわきを浮き上がれたが、上がるのを止めて声をかけた。

「何もぶつかるようなものもないけれど、どうしたんですか?」

青年は宗則には感じられない天井を手で押さえながら答えた。

「僕は、実家は寺でして跡を継ぐつもりでした。いずれ自分も当然実家の寺の宗派の方式で葬られると思っていました。けれど事件に巻き込まれ、身元不明のまま葬られました。ちゃんとした弔いをしてもらえたのですがそれが別の宗派だったようで、ここから先にどうしても上がれないんです。弔ってくださったことには感謝しなくてはいけないのですが、気持ちが受け付けられないようなのです」

手で宗則には見えない天井をしっかり押し付けていないと、胴体や足も浮き上がり天井に体全体がくっついてしまいそうだ。

「これではだめでしょうか」

宗則は布袋の中からまず手甲を取り出して見せ、布袋の口を大きく開いて中身を全部見せた。青年の目が見開かれた。

「私は無宗教なのでこれがなくても上がっていけるんです。もしこれでよければ使ってもらえませんか」

「ああ、これです、これなんです!本当にありがとうございます」

青年の実家の寺は垢沙汰奈教であった。

 

火葬から10日が経った。火葬以来、宗則のシルバーのコマは移動範囲が広がり、3日後には日本の端まで行き、翌日にはユーラシア大陸にあった。

「辰男、お父さんは今日はどこにいるの」

魂追跡サービスの画面はいつも辰男が持っていて、ちさとと小冬は宗則の魂の居場所を知りたいときは辰男に聞く。

アイスランド。噴火が見えるところだよ。これで3回目だよ。好きなんだね」

「小冬も噴火見たいなあ」

コマは地図上からなくなることもあった。サービスの追跡可能範囲から出ることもあるようだ。

「宇宙にも行ってるのかしらね」

ちさとが感慨深げに言った。

「お父さん死んだ気がしないなあ。いつでもどこにいるかわかるし、動き方がゆっくりになったり止まったりするんだ。拡大すると、お父さんの好きだったシャクナゲの木の並ぶ通りだったり、昔遊びに行った公園だったりするんだよ。行くたびにキャッチボールをした公園だよ。小冬は、ほら、お母さんと野いちごを摘んだだろう。プロ野球の球場に来ていたときなんか、選手を応援する曲に合わせて左右に動いてリズムを取ってたよ」

宗則と辰男は昨シーズンの全日本リーグで優勝を争った東海マンガンズのファンで、宗則が死んでからも辰男はテレビの前にひとり座って試合の中継を見ている。

「辰男の話を聞いていると、お父さんは旅行に出かけただけみたいに思えるわね」

「死ぬって何なんだろうね。お父さんは死んだのかなあ」

まっさらな白目を輝かせて小冬がちさとと辰男を見上げた。

「死んだには違いないだろう」

「そうなのかなあ」

魂追跡サービス -1-

「お父さん」

「お父さん死んじゃいやだ」

「あっ、お父さんの魂が地図に表示された」

「じゃあ死んじゃったの」

「まだ家の中にいるよ」

死後の生命エネルギーの移動が解明され、生命エネルギーが肉体から離れることを死と定義するようになった。生命エネルギーと魂は厳密に言うと異なるのだが、研究者以外は魂と呼ぶことが多い。

息子で小五の辰男が見ているのは、死後の生命エネルギーの位置が示されている液晶画面の地図である。宗則の死期が近いとわかり生前に魂追跡サービスに加入したのだ。

宗則の生命エネルギーの位置を示すコマであるシルバーの小さな円は、宗則が横たわっている寝室をうろうろし、隣家と面している壁から外に出たが戻ってきて、自分の体の上に停滞した。しばらくすると窓のあたりからふらふらと出て、強風にあおられたかのように遠ざかって行った。

「お父さん行っちゃったね」

「ちょっと諦めが悪かったねえ」

「しばらくはどこにいるかわかるから寂しくないわね」

妻のちさとが画面に見入っている辰男と、宗則の魂が出て行った窓を見つめている娘で小学一年の小冬を見遣りながら言った。

 

宗則の棺には仏教の宗派のひとつである垢沙汰奈教の作法にのっとった経帷子、天冠、手甲、脚絆、草履などの旅装束一式が収められた。宗則は宗教を持っていなかったので、身には着けず、宗則に言葉をかけながら体のかたわらにちさとと、辰男、小冬が順に置いた。親類は垢沙汰奈教で葬儀を行っているため、あの世で先に逝った親類に会いやすいようにというちさとの配慮である。

「いらないんだが無下に断ることもできんよなあ」

宗則は旅装束の一式を胸に抱えたまま宙に浮いていた。まわりは旅装束を身に着けている者が多く、白い狩衣姿は神道、胸に十字架を掲げているのはキリスト教徒とわかる。半そで短パンの軽装の者は南国からだろうか。頭を布で覆っている女性はイスラム教徒だろう。全身を白い布で覆っている者も見える。

神道の人は家にとどまるはずだし、イスラムの人は天には上がらないと聞いていたが。きっと私の考えうる人が見えているのだろう」

初めて目にする、いかにも儀礼にしか使われなさそうな道具を抱えている者もいる。

宗則は仕事で愛用していた背広の上下を着ていた。最後の療養の際に受けていた訪問看護の看護師にちさとが頼んで死後にねまきから着せ替えたのである。

旅装束は経帷子をいちばん下にして脚絆やほかのものを載せていたのだが、抱えているのが面倒になってきた。身に着けてしまおうか。草履は履いても気持ちよさそうだが、脚絆はズボンのすそ幅が太くて合わなさそうである。経帷子と天冠を身に着けるのはどうにも抵抗がある。それに、草履に履き替えても脱いだ靴を持っていなくてはいけないではないか。宗則はどうしたものかと目を右往左往させた。

「細々とお持ちですねえ」

肌が浅黒く眉の濃い頭にターバンを巻いた男性が声をかけてきた。

「この袋を差し上げましょうか。私たちの住むところではこの袋に向こうでの食べ物を入れるんですが、どうもなくても済みそうです。ここでは重さがありませんから、袋から出してこうやって持てばいいですし。それは葬送してくれた方が用意したものなのでしょう。そう放ったらかしにもできませんよね」

男性はしゃべりながら、大きな白の布袋からすいかほどの大きさの赤いごつごつしたくだものを取り出して片手で胸に抱えた。みずみずしそうなくだものだ。

「ありがとうございます。私は無宗教なのでこの装束はなくても大丈夫なのですが、持っていればいつか誰かの役に立てるかもしれませんね」

宗則は渡された布袋に脚絆や草履などを入れ、布袋の口をすぼめて閉じた。

布袋の口を持って肩に背負うように掛けるとサンタクロースになったような気分になった。困っている人はいないだろうか。

 

 

 

 

 

☆『魂追跡サービス』は、「碧井ゆき」のペンネームで2015年9月に第3回星新一賞に応募したものです。記述を改めてあります。