碧井 ゆきの物語

こんにちは。碧井ゆきと申します。ここにはわたしが書いた小説をのせています。

片手袋の彼女(四)

「何も感じないんです」

 彼女はどうして蝶は飛べるのかと父親に尋ねる子どものような顔をしました。

「試してみますか」

 彼女は右手のひらを開いたまま私の顔を見上げました。私は戸惑いました。目が泳いでいたと思います。それでも彼女の手に巣食っているかのような穴への興味をかき消すことができませんでした。

 私は左手にはめている革製の黒い手袋をはずそうと、手袋の中指と人差し指を右手で引っ張りました。手袋をはめたままでは失礼に当たるような気がしたからです。

 彼女はそんな私の動きを制しました。

「そのままで大丈夫ですよ。何も感じないんですから」

 私は手袋の二本の指先をつまんだまま動けなくなりました。手袋をはずすのとはめたままなのと、どちらが礼儀に適っているのかわからなくなったのです。

 しばし迷った末に、彼女の言う通りにするのがいちばんいいと思い、右手を左の手袋から離しました。

 私は何が起こっても動じないでいるために、息を多めに胸に入れ、手袋をはめた左手の人差し指を彼女の右手のひらの穴にごくゆっくりと差し込もうとしました。指先が穴の入り口に差しかかろうとするとき、私の心臓は、今まで生きてきた中でいちばん大きな音を私の中に響かせ、胸の中で動ける最大の幅で跳びはねていると感じました。

 穴の入り口に指先が入ったときは、衝撃を受けた気がして卒倒しそうになりました。

 けれど、肺に溜めていた息を少しだけ出すと、指先には何の感触もなく、彼女の表情も全く変わっていないことに気づきました。それでも、彼女の顔を正視することも、言葉を交わす余裕もなく、ただ彼女が変化を示したら何らかの形で応えることだけに意志を集中しました。

 私はまた少しだけ指を中に入れました。しかし、私の指の感覚も彼女の様子も変わりありません。私は更に少し指を突き進めさせました。

 第一関節がすっかり入るころ、不意に指先を除く指の周りにふんわりと力がかかる感じがありました。まるで赤ん坊の手で握られたかのような優しい感触です。

 私はこの上ない安心感に埋没したくなると同時に、戦慄を感じ首筋が粟立ちました。

このまま指を入れていたくもあり、一刻も早く指を抜いて逃げ去りたくもありましたが、本能は危険はないと訴えていました。

(碧井ゆき)