碧井 ゆきの物語

こんにちは。碧井ゆきと申します。ここにはわたしが書いた小説をのせています。

片手袋の彼女(八)

秋も深まり朝晩の冷え込みに背を丸めるようになったころ、彼女の首の付け根でしばらく留まっていた穴の境い目は動揺しがちになり、ついに首すじを這いのぼりはじめました。

ハイネックのセーターでも隠しきれなくなり、彼女はマフラーを常に首に巻くようになりました。部屋に帰ってきた彼女のマフラーを解くのはいつしか私の役目になりました。

小柄な彼女が私のもとへ来ると、首とマフラーのわずかなすき間からもはや広範囲のあざのような青黒い穴が見えます。私はそれを確認すると、フリンジの付いたマフラーの端を持ち、ゆっくりと彼女の首のまわりを巡らして、マフラーをほどきます。

彼女はその間私のシャツの前立てのすそあたりをつかみ、私の腕とマフラーが起こすよわい風とマフラーとコートの生地がこすれる音を空っぽな目をして聞いています。マフラーをほどき終えると、彼女はようやく私の顔を見上げます。そして私のシャツの胸に顔をうずめます。

 青黒さが彼女の白く細い首すじの右がわを伝いのぼり、あごの稜線の耳たぶの下あたりを超えるころ、私は彼女と旅行に出かける決意をしました。このまま顔を青黒さが占めていくと、外に出られなくなると思ったからです。

宿泊先は、山中の温泉の一軒宿と決めました。

 

旅行の前日、彼女は行きたかった温泉に行けるのはめでたいから、今夜は手巻き寿司にしようと言いました。手巻き寿司でも酢めしは寿司桶でつくるのがぜったいおいしいからと、流し台の上の収納に入れっぱなしだった寿司桶を取るために踏み台を置いて台に上がりました。

彼女が踏み台を使って台所の上の収納から物を取り出すときの、つま先立ちして精いっぱい腕を伸ばす姿が私は好きで、彼女の手がぎりぎり届かないと知っていますが、彼女が踏み台を出すとそっと場を離れます。そして、書斎がわりのとなりの部屋で書き物をするふりをしながら彼女の様子を窺っています。彼女はどうしても手が届かないと、助けをもとめに私を呼ぶのです。

この日も書き物などする気も起こさずにとなりの部屋から彼女の様子を見ていました。白のタートルネックのセーターを着た彼女は、めいっぱい背を伸ばし、左腕を伸ばしました。

そのとき、彼女の左のそで口から、青黒い穴が顔を出したのです。私にはその様子が白い蛇が青い舌をちらつかせたように見えました。私は腰から背筋にかけて小さな数多の虫が覆い這うように感じました。

 (碧井ゆき)