片手袋の彼女(七)
ある日、仕事から帰ってきた彼女が青ざめた様子でコートも脱がないまま先に帰っていた私のそばに来て、
「ねえ」
と言い、右の黒手袋をはずしました。
手のひらの穴は大きくなっていました。手のひら全部を穴が覆い、指のつけ根の皺までも超えそうな様相です。
私は愕然としました。できうる努力はすべてしてきた積もりです。
彼女は子鹿のような目で私を見上げました。私は彼女が大変な状況に陥ったというのに、彼女への情欲がわだかまっていくのを自覚しました。抑えなければいけないと思うほどにこの感情が募っていくのを痛みとして感じ、またそれをどこかで楽しんでいました。
私は彼女の右手をとり、拡がった穴のふちをたどりました。彼女は、涙の溜まった目で私の顔を見ていました。
手のひらの穴が持つ圧迫感は今までと変わりなくあり、少し強まったように思えました。
彼女の手のひらの穴はだんだんと拡がっていきました。 右手の指の腹を覆い、手の甲を占め、右腕を凌駕しました。それはもう穴というより、体の表面が青黒いこの世でないものに置き換えられるという印象でした。
彼女は汗ばむ季節になっても、長袖と手袋を身につけるようになりました。
彼女の青黒く変わっていったところは、求めに応じて穴になりました。
小さくても形の良い胸や、なだらかな白い丘陵を思い起こさせた腹部がどす黒い青に変わっても、私の彼女への恋慕は変わらずほとばしりました。
背中側の青黒い部分は右肩から右の肩甲骨を覆って腰のくびれの高さまで垂れるように下がりました。背中の左側にも滑らかな先を持った青黒さは拡がっていき、先端が左わきばらまで到達しました。
私はうつぶせになっている彼女のもとからの肌が穴に換わるあたりを、右肩から左わきばらまで時間をかけてながめました。
(碧井ゆき)