片手袋の彼女(九)
出かける日は朝から明るい雲で覆われた空の下を綿のような雪が舞っていました。
彼女はマフラーでは首の穴を隠し切れなくなって、新調したストールを首もとできつくぐるぐる巻きにし鼻まで被せていました。
駅に向かうバス停までのアスファルト敷きの道には雪がうっすらと積もっていました。わたしの前を歩く彼女は、インヒールのミドルブーツで雪を蹴散らしながらときどき私を振り返り、雪がきれいだの、街路樹のプラタナスの実にも雪が積もっているだのと絶え間なくしゃべっていました。
これが彼女との最後の旅行になるかもしれないのに、私の心に暗さは微塵もありませんでした。
彼女が外に出られなくなれば、彼女は私だけのものになる。私にとって、この旅は終わりではなくて始まりでした。彼女も私と同じ気持ちだったのだと思います。
彼女はバスの長椅子に座り、手袋をはめた両手を膝の上できちんと重ね合わせました。
温泉地に向かう列車では、彼女と私は四人座れるボックス席に向かい合わせて座りました。窓からはすっかり深くなった雪に埋もれ畦道だけが浮きでている田んぼが見えました。
進行方向に向いて座り、車窓からの景色を見ている彼女を私は見ていました。彼女はバスの中でと同様に、手袋をはめた両手を膝の上で重ね合わせていました。
彼女の青黒さは左手の甲にも及んでいますから、彼女が外で手袋をはずすことはもうありません。
それでも私は、昨夜のことを思い出し、彼女の左手が見たくて仕方がなくなりました。私は自分の首に掛けていたマフラーをはずすと、彼女の左隣へ席を移るために立ちました。彼女は驚いたように私を見上げ、
「どうしたの?」
と言いました。
「うん。いいや」
私は曖昧に返事をして、彼女の左隣に腰を下ろしました。
(碧井ゆき)