碧井 ゆきの物語

こんにちは。碧井ゆきと申します。ここにはわたしが書いた小説をのせています。

片手袋の彼女(十二)

夕食は部屋食を選びました。部屋では彼女に寛いでもらいたくて穴を隠すものを特別身につけてほしくなかったので、御膳を仲居さんが運んでくれている間、彼女には庭の見える次の間に障子を閉めて待っていてもらいました。

 牡丹の花を模した器に盛られた刺身や、土地で採れた山菜を交えた炊き合わせや、山海なべと名づけられたおのおの一人分ずつにしてある鍋料理など、たくさんの器が並べられた広い座卓を挟んで向こう側に浴衣姿の彼女が座りました。浴衣の右の襟もとの線に沿って、私の親指の幅ほどの青黒い穴が見えていました。

 寒い季節になったのもあり、私たちの暮らしている部屋でも襟もとが詰まっている上衣ばかり着ているのを見ていましたから、彼女の体にどのように青黒さが拡がっているのかすべて知っているのに、V字形に開いている胸もとだとこんな風に見えてくるのかと新鮮な驚きを感じました。

 箸を持った彼女の右手が、テーブルの中央寄りに置かれた料理にのびたとき、浴衣の襟と残っている白い肌とでつくっている青黒さが私の目には拡がるように見えました。

 私の目がいっていることに気づくと、彼女は恥ずかしそうにちらっと私を見て、左手を襟に当て、胸もとを隠しました。

 そのあとしばらくは彼女は襟に手を当てて料理をとっていたのですが、元来食べることが好きでまたこの宿の料理が大変おいしかったことから、彼女はたびたび胸もとを隠すのを忘れました。

 私は穴の幅が拡がるの見たさで、彼女が襟もとに手を当て忘れても注視しませんでした。たまにいちべつすると、彼女は思い出して襟に手を遣ります。

 そんなことを繰り返すうちに、彼女の目つきが怒ったものに変わりました。どうしてそんなに見るのかと思ったでしょうし、私がたまにいちべつするのがわざとだとわかったのでしょう。

 私は、彼女が怒った目つきで見返してくるのが面白くて、彼女の襟もとの穴に気づかないふりをしてはときどきちらっと見るのを繰り返しました。

 しばらくすると、彼女はふと泣き出しそうな顔になり、次に、料理に箸ものばしていないのに胸に手を当て、目を閉じ、顔も耳も首も紅潮させました。手がかすかに震えています。

 私が心配して声をかけようとしたとき、彼女は短く熱のこもった息を吐き、目を開きました。

 彼女はさらに弱い長めのため息をつくと、箸を持ちかえ、青菜の煮びたしにのばしました。出汁に浸かっている、青菜の煮びたしを口に運ぶときには、箸でつまんだ青菜から汁がたれそうになり、彼女の身が座卓の上に乗り出しました。

 胸もとに左手はありましたが力が抜けてしまい、左右の襟の合わせのずっと下にあてがわれているだけになってしまっていて襟もとがゆるみ、縦長の青黒さの中ほどがふくらみました。まるで横向きの黒い口が大きく笑ったようでした。

(碧井ゆき)