碧井 ゆきの物語

こんにちは。碧井ゆきと申します。ここにはわたしが書いた小説をのせています。

片手袋の彼女(十四)

澄んだ沼の底にはちょっと表面をつつけば舞う柔らかな泥が積もり、小さな魚が強い日の光でできる影を泥に落としながら何匹も泳いでいました。

 ほう、かじかだね、と父は言いました。

 私は沼の岸にしゃがみ込んで、両手の端をぴったり合わせて水ごとかじかを掬い取ろうとしました。しかし、何度やっても逃げられるばかりです。そのうち底の泥が舞い、かじかは見えなくなって捕まえることなどできなくなりました。

 父にしばらく待つように言われ、私は岸辺で膝を抱えて座りふてくされていました。

 泥が沈み水が澄んでくると、父は金属製の使い古されたでこぼこのひしゃくを何処かから持ち出しました。誰かが撒き餌用にでも置いていったのでしょう。

 父はひしゃくを沼の水につけるとそうっと水面を動かし、一匹のかじかのすぐそばまで近づけるとひしゃくの端を水面に沈ませました。沼の水と一緒にかじかがひしゃくに流れ込みました。父は私に両手を合わせてお椀の形にするように言い、私の手の中にひしゃくの中身をあけました。

 ひしゃくの水は子どもの私の手では受け止めきれず指の間やお椀の形にした手のひらからあふれこぼれ出ていきます。

 かじかは手のひらの中でかろうじて泳いでいましたが、水が少なくなると体をばたつかせるたびに頭やひれが私の手のひらの皮膚に当たりました。

 

 私の一部になった深いへこみは彼女のものになりました。

 

 彼女のもとの白い素肌が最後まで残ったのは右の二の腕の一部でした。私が初めて彼女に会った晩に、抱き留めるためにつかんだところです。

 部屋では腕が顕わになる上衣を身につけることもあった彼女がショートパンツに丈短かのギャルソンエプロンをつけ、ノースリーブのカットソーから青黒い両腕を出して流し台の前に立ち、洗い物をしている姿を今でも思い出します。

                                             おわり