碧井 ゆきの物語

こんにちは。碧井ゆきと申します。ここにはわたしが書いた小説をのせています。

これから h

公数は青菜の煮びたしをつついている。 葉の一枚を箸先でつまむと葉がびろっと伸びる。 葉をまとめて出汁につければおいしいものを、伸びてたれ下がったままの状態で口を横から持っていき、食べる。 あまりおいしそうに食べているようには見えない。 香子は…

これから g

ときどき、不安になる。 清星と始まったときは、代わりに過ぎないのだからと、考えが浅かった。 今にして思えばなのだけれど。 知世子さんの体が良くなれば、終わってしまうのだろうか。 治療の甲斐がなく亡くなってしまったら、清星は瑠璃とずっと今までの…

これから f

「ほんとにいいのかよ、それで」 「もう決めちゃったよ」 「なんだかもう、言いたいことは山ほどあるけどな」 紋二はモヒートのグラスを両手で囲むように持つ。 長袖Tシャツの袖口から出ている手の甲は毛深い。 紋二が離婚すると聞いたときは驚いたが、理由…

これから e

「気持ち、変わらないの」 「うん」 電話口の向こうで、瑠璃は気弱な声を出す。 「清星(きよぼし)さんの所に行きたいんじゃなくて」 「わからない。それでもいいと思ってるわ」 「ひとまかせじゃない?」 「決めることのほうがストレスなのよ」 トシ子は旅先…

これから d

今朝はオムレツとウインナーがメインだ。 昨夜の夕食は公数には少なかったかな、と思い、公数の分のオムレツは卵3個分だ。 後に家を出る香子の分と自分の分を一緒につくる。 卵4つを使ってつくり、皿にのせるときに切り分ける。 香子は中のチーズが溶けて…

これから c

「浮気ってなんだろうね」 とトシ子は言う。 「2人とも本気で好きでも、浮気と言うのかな。うわきの響きって、遊びみたいだよね」 頼子はアイスティーをストローで吸い上げながら、軽くうなずく。 否定する気はない。 「1対1のつき合いでまるくおさまらな…

これから b

「何が悪いのかわからないな」 明人(あきと)はあたたかい紅茶の入った肉厚のマグカップを、持ち手に太い指を三本通して持つ。 三本の指でいっぱいで、小指はのけものにされた格好になっている。 「だけどさ、考えてみろよ。リアルな絵をさ」 法於(のりお)は…

これから a

「カズくんがね、別れたいって言うのよ」 「えっ。先週のバーベキューで楽しそうにしてたじゃない。香子(こうこ)ちゃんとも今までどおり仲がよかったし、うちのさみえとも遊んでくれてたよね」 「川遊びが好きだから。誰だっていいのよ」 美咲の言い方には毒…

あなたとコーヒーを (下)

その次の週の同じ曜日の同じ頃も僕は銀行の壁にもたれかかってコーヒーを飲んでいたけれど、安立さんの姿は見なかった。 その三日後、僕はコーヒーショップの外の椅子に腰かけ、ホットコーヒーをテーブルに置いて本を読んでいた。 本当は絵を描いていたいの…

あなたとコーヒーを (上)

いつもの銀行の壁にもたれてコーヒーショップで買ったブラックのコーヒーを飲んでいると、グレーのパナマ帽をかぶった初老の男性が帽子に手を遣りながら僕の前で立ち止まった。 「そちらのコーヒーはどこで買われましたか」 道を聞かれるのかと思っていたけ…

ロンサムカフェ -26 最終話-

「今日は、もう、行くね」 帆波は二人分の飲み物とデザートが載っている伝票をつかんで立ち上がった。 待って、という仕草はしたが、それ以上動けなかった。 ものすごく頼りなげな、でも1本の触角が増えたような背中をして帆波はロンサムカフェの出口へ向か…

ロンサムカフェ -25-

「一緒に暮らす父親がいらないのに子どもをつくるのおかしいよね」 本心だった。 ただ、おかしいというのは世間的に見てのことで、れいみには当然の選択だった。 選択というよりは、レールがこちらにしかなかった。 「ううん、ぜんぜんおかしくないと思う」 …

ロンサムカフェ -24-

帆波の目の前のアイスクリームが溶けていく。 「あれの日にしたくないなんて、いいのかな、って」 帆波はつばを呑み込んで、続ける。 「最近は、ぜんぜんよくないの。駄目ではないけど、ちっとも気持ちよくない」 なぜ、と訊き返す気にもなれない。 れいみに…

ロンサムカフェ -23-

コップをテーブルに置く。 「ごめんね。驚いちゃって」 「謙人さんとはつき合ってないよ。赤ちゃんがほしくて協力してもらっただけ」 帆波は胸を押さえる。 頭の中で質問したいことや非難の言葉がごった返しているのだろう。 怒りの感情を出さないようにして…

ロンサムカフェ -22-

「赤ちゃんができたの」 業務連絡のように謙人に知らせた次に、話したのは帆波だった。 普通のトーンで話したので、帆波は黙ったあと、 「それは、おめでとう、と言っていいの?」 と言った。 うなずくか迷ったけれど、頭を動かさなかった。 「謙人さんの子…

ロンサムカフェ -21-

謙人とこれ以上会うのは帆波に悪い気がした。 妊娠するためだけに会っていても、話はするし、だんだん相手のことを知っていく。 ただしゃべるのも楽しくなっていく。 その時間はないのだ。 謙人と帆波の会話の時間を奪っているようでそれは嫌だった。 謙人あ…

ロンサムカフェ -20-

妊娠検査薬の窓にくっきりと青い線が出たときは、嬉しかった。 20代の男女なら妊娠する確率は25~30%だ。 そろそろ、できないと原因を考えて落ち込みそうだった。 作戦を立ててまで子どもを欲しいとは思えなかった。 できないとなると、調べて頭を使…

ロンサムカフェ -19-

一緒に育ててくれる父親は居たほうが子の情操教育にはよりよいのだろうが、謙人がいない帆波を見たくなかった。 れいみにとって、謙人と離れた帆波は帆波ではなかった。 帆波が帆波でなくなるくらいなら、一人で子どもを産んで育てる。 れいみには、するする…

ロンサムカフェ -18-

一人で産んで育てようと思ったのは、先輩がたの苦労している姿を見てきたからだ。 仕事を優先し、結婚するのは30代半ば。 すんなり子どもが授かるパターンは少数派で、30代半ばで結婚した女性の先輩たちの半分以上は婦人科へ通っている。 かえってロスな…

ロンサムカフェ -17-

社員食堂では中華丼を食べた。 週に一回は出てくるメニューで、味が気に入っていて楽しみにしている。 あんの具は、白菜、にんじん、しいたけ、豚肉、かまぼこだ。 透明の塩味のあんがごはんにからんでおいしい。 全部平らげる。 社員食堂で出されるお茶はほ…

ロンサムカフェ -16-

平日の朝はおみそ汁をつくる。 だしをひく時間まではとれないので、顆粒のだしをパッパと小なべに振り入れる。 具はわかめと油揚げだ。 味見をしようとお玉の半分くらいにつくりかけのみそ汁をすくってお椀によそい、熱すぎるのを冷まそうとふーふーと息を吹…

ロンサムカフェ -15-

翌日の朝、いつものようにハムサンドをつくろうとスライスされたパンにマーガリンを塗り、パックからハムを取り出すのに接着面をべりべりとはがしたら、気分が悪くなった。 いつもは食欲が出るボンレスハムのにおいに吐き気がした。 冷蔵庫を開けて、ほかに…

ロンサムカフェ -14-

帆波はメニューブックの巻末を開く。 サンデーやパフェ、カットフルーツの盛り合わせ、アイスクリームなどが並んでいる。 フルーツの盛り合わせは食べられそうな気がする。 「ううん。アイスティーをおかわりするわ。ゆっくり食べてね」 れいみはウェイトレ…

ロンサムカフェ -13-

クレープサンドを皿に戻し、ベリーアイスティーの入ったグラスの底にストローの先を突き刺し、底にたまっているベリーミックスジュースを飲む。 ふた口めを食べている帆波が口をもごもごさせながら怪訝な表情をしている。 口の中がいっぱいでものが言えない…

ロンサムカフェ -12-

ベリーアイスティーを飲む。 帆波もアイスティーを飲む。 口の中がさっぱりする。 帆波の歯形がついたクレープサンドから、オレンジ色がかったさいの目に切られたサーモンが見える。 れいみのクレープサンドは生ハムにも歯形がついている。 さっきの、謙人の…

ロンサムカフェ -11-

れいみはおいしそうに食べる帆波に釣られるようにクレープサンドをほお張る。 フリルレタスの尖った葉の刺激と、生ハムのしっとりした食感としょっぱさ。 とつぜん謙人の裸体が思い浮かぶ。 この場で思い出してしまう自分がおぞましい。 あわててうちけして…

ロンサムカフェ -10-

二年ほど前からだったと思う。 「ごめんね、思い出せない」 「いいよいいよ。お互いいろいろ忙しかったよ」 クレープサンドが運ばれてくる。 クレープは厚みがあった。 きれいに丸められたクレープと生ハムの中から、黄緑色の葉先がとげとげした見かけのフリ…

ロンサムカフェ -9-

「そんなことあったっけ」 「あったよ。覚えてないの? 主役が鍛冶原啓五で、ヒロインが蕗下冴子」 いくら考えても思い出せない。 当時つき合っていた彼と行った所や映画は思い出せるのだが、帆波と出かけた記憶は、大学近くのケーキ屋さんや、自転車を連ね…

ロンサムカフェ -8-

帆波と謙人はたぶんしょちゅう会っていると思う。 週二回くらいは会っているのではないだろうか。 謙人を誘うときはだめでもともとと思っている。 謙人からの誘いは、むろんない。 子どもができたらお別れなのだろうな、やっぱり。 できなかったら、帆波とず…

ロンサムカフェ -7-

帆波はマンゴーアイスティーを太いストローで勢いよくちゅーっと吸い上げる。 「れいみが来る前にも、飲んだんだけどね」 無邪気に見える笑顔だ。 「暑いものね。梅雨時期なのに」 言っておいて、れいみはグラスの半分も飲めない。 まとまった水分は朝起きて…